日常会話に苦労しなくなったとはいえ、未熟なところもあつた。大学の研究会などでは、なるべく原稿を朗読することにしていた。その最初の発表の際、文楽など、日本の人形芝居が欧州の演劇とは違った独特の進化を遂げたこと、回り舞台は欧州よりも日本で行われたことなどを報告した。これが地元の新聞に紹介された。
しばらくして、北里は、日本文化をドイツ人に紹介すること、およびドイツ文を書く訓練を目的に、一幕物のドイツ文劇詩「南無阿弥陀仏」を書き、これをなじみの本屋の協力を得て自費出版をした。
この冊子が著名な文芸評論家フィリッツ・マウトナーの目に止まり、長文の評論が明治32年(1899)3月9日付の「ベルリン毎日新聞」の一・二面を飾り、また他の新聞や雑誌にも取り上げられた。その後、第二作として4幕物の家庭劇『フミオ』を書いた。ドイツの新聞やロシアの新聞までもが論評を掲載したが、今度はどれも評価は低かった。
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