1869年 ヌクレイン

膿だらけの包帯から洗い落とされた細胞に核酸が発見される。

スイスの若い生化学者Friedrich Miescherは、研究生活を始めるに当たって膿の白血球についての 研究をテーマとして選んだ。この選択が一連の研究の始まりとなり、その結果やがて遣伝子コードの解読がもたらされることになる。

Miescherは、1868年チュービンゲン大学に入り、そこでこの発見をした。 1869年の終わりまでに、彼は細胞の核を分離する方法を学び、核の中に当時知れらていた 蛋白質、炭水化物、脂肪といった細胞成分のいずれにも該当しない複雑な物質を発見した。 彼はこの物質を

「ヌクレイン」と名づけC24H44N4P3O22という化学式を与えた。

実験のまず第1段階では、膿細胞を希アルカリで処理するとある未知な物質が抽出された。 それは酸を加えると沈殿し、アルカリを加えると再び溶解した。 この物質は、核と関連のあるものと考えたので、彼は引き続き核の分離を試みた。

その結果、細胞に希塩酸を加えると、非核成分は溶解するが、細胞の核は無傷であることがわかった。 核からさらに蛋白を除くために、塩酸とペプシンを供給する意味で、ブタの胃の抽出物とを合わせて用いた。 この処理で、この新しい物質が核に由来し、非蛋白性のものであることが明らかになった。 きれいになった核を希アルカリで抽出すると、得られた物質は酸を加えると沈殿し、アルカリで再び溶解した。

核酸は、細胞の構成成分のうちで、発見の日付が正確にわかっているという点で非常にユ二一クなものである。 つまり「特定の人が、特定の場所で、特定の日に発見したものである。 その人こそ「Friedrich Miescherである」と著名な生化学者 Erwin Chargaffは述ベている。