はじめに

現代生物学領域の生物工学または遺伝子工学などと呼ばれる花形科学は、 1972年に発表されたPaul Bergらの研究から始まった。 米国スタンフォード大学の教授であったPaul Bergらは、大腸菌に寄生するラムダーファージという 細菌ウイルスの遺伝子と、大腸菌が持っている乳糖分解酵素であるガラクトシダーゼの遺伝子を SV40という動物ウイルスの遺伝子に化学的処理により結合させることに成功した。 これが遺伝子組換え実験の世界で最初の成功例である。

生物工学または遺伝子工学とは、遺伝子であるDNAを研究対象とする科学である。 神秘な生命現象である遺伝の本体は、遺伝子と呼ばれる物質により、それはDNAからなる。 今日遺伝子と呼ぶDNAが細胞の核のなかに存在することが発見されたのは、今から130年前にまで溯る。 この一世紀を超える長い期間に多くの科学者が遺伝の本定に迫る研究を展開した。

その科学者達の物語が、ここに紹介する「DNA発見小史」である。

現代の花形科学である生物工学の勃興を 予見した最初の科学者は誰だ?

明治28年(1895年)に北里柴三郎が行った演説内容の一部を紹介する。

「動物を免疫することは容易でない。 一匹の動物を充分に免疫させるには、まず1年を見込まなければならない。 もし今日の化学の進歩と細菌学の進歩とが伴ってくれれば、細菌学者がこれほどまでに苦労しなくてすむ。 免疫抗体というものは動物体外で作れるに違いない。化学の力でバクテリアの産生物質として抗体タンパクを 分離させるという時期が今から数年後には必ず来るにちがいない。」

と、北里柴三郎は、いまから100年前に今日の生物工学的発想に言及しているのである。 天才であり先覚者である北里柴三郎先生の考えた数年が約90年経過し20世紀末になって 初めて開花したのである。(北里柴三郎論説集より抜粋)。