第81話
 チーズの味わいと生理機能
 

 
「主な対象読者」
 中学生高学年、高校生以上の若者および科学に興味のある一般人を主な読者と考えました。
 
「読者への期待」
 身近な食品が私たちの健康維持にとても役立っていることはみなさんよくご存知のことと思います。しかし、科学の目でみた食品は色んな化学物質から成り立っており、これらが私たちの身体のなかでどのような働きをしているのかについては、まだまだ未知であり不思議なことがたくさん残っています。今回は、乳発酵食品であるチーズに注目し、その歴史と作り方、さらには健康維持との関係について読者とともに学びたいと思います。
 
本 文 目 次
 
著者 安田伸、井越敬司
 

 
 
第81話 チーズの味わいと生理機能
 
はじめに
 乳発酵食品と聞くと、代表的なものにチーズまたはヨーグルトなどの発酵乳を思い浮かべる皆さんも多いことと思われます。チーズは、独特の旨み、苦み、人によっては臭みや香りだけでなく、熟度に応じた軟質、硬質および超硬質などの様々な食感までもが組み合わさった魅力的な食品であり、芳醇(ほうじゅん)かつ複雑な味わいで私たちを楽しませてくれるものとも言えましょう。今回は、バイオの目で見た「チーズ」の味わいについて紹介したいと思います。
 
 
乳発酵食品チーズの歴史
 チーズは悠久(ゆうきゅう)の昔より食されてきた人類の貴重な食品の一つです。チーズの歴史は古く、その発祥は紀元前6,000年頃にまでさかのぼるとされています。
 
 自然に発生した「酸凝固という酸味のある固まりのようなチーズ」に始まり、紀元前1,400年頃には羊の胃に含まれているレンネットという乳を固めることのできる凝乳剤により偶然に凝固された「チーズ」が発見されました。そして長い年月をかけて世界各地で様々なチーズが作られるようになり、そのおいしさは長い間人々を魅了してきました。この長い食経験こそが、チーズの安全性はもとより、栄養、嗜好性においても非常に優れた食品であることを意味しています。
 
 わが国では、西暦645年頃に百済(くだら)からの帰化人である善那(ぜんな)が牛乳を薬として孝徳天皇に献上したことから、乳を食する歴史が始まったという記録が残っているようです。
 
 チーズを始めとする乳発酵食品は一旦衰退するものの、明治期以降、現代に至るまで徐々に消費量を伸ばしてきました。これは、最近の健康意識の昂揚(こうよう)に加え、とくに乳発酵食品が健康に良いことが科学的に解明されはじめてきたためとも考えられています。
 
チーズの製造
 世界に800種類以上もあると言われているチーズは、プロセスチーズとナチュラルチーズに大きく分けられ、海外ではチーズといえばナチュラルチーズを指します。
 
 日本でよく見られるプロセスチーズは、ナチュラルチーズを粉砕し、加熱してつくられます。このナチュラルチーズの多くは、発酵または熟成という過程を経て時間をかけて製造される点がポイントです。つまり、チーズの奥深い味わいを生み出すためには、この手間と時間をかけることが重要です。
 
 チーズは、基本的に牛乳、水牛乳、山羊乳、羊乳、馬乳などの家畜乳を原料として微生物である乳酸菌(スターターとも呼ばれる)を利用してつくられます。つまり、スターターとともに乳を短時間発酵させ、レンネット(仔牛の胃内消化液中に含まれる凝乳酵素)で凝固、撹拌、徐々に加温するクッキング操作、型詰め、そして熟成のプロセスを経て製造されます。
 
 また、熟成の段階でスターターである乳酸菌の他に白カビPenicillium camemberti)、青カビPenicillium roqueforti)、プロピオン酸細菌Propionio -bacterium freudenreichii)などの微生物をさらに加えて製造されるチーズもあり、複雑で様々な風味を有する逸品が数多く創り出されています。
 
 チーズの製造工程において最も重要な過程は発酵および熟成と呼ばれる工程です。ここの段階では乳中に含まれていたタンパク質成分がスターターやカビなどが有するタンパク質分解酵素群により分解され、呈味成分のペプチド(アミノ酸がいくつか連なったもの)やアミノ酸(グルタミン酸、リジン、ヒスチジンなど)が生成されます。また、脂肪は脂肪酸に分解され、それは酪酸といった揮発性風味成分となり、チーズはチーズらしい特有のかたちと風味が徐々に形成されます。
 
 
チーズのはたらき
 最近になって、発酵および熟成中に産生された乳由来成分が体調を整えるはたらきをすることが見つかり、チーズには健康の維持および増進に役立つ成分が実際に含まれていることが明らかになってきました。
 
 
「整腸作用を通してガンの予防や、老化の防止」
 腸内には、健康に役立つ善玉菌健康を害する悪玉菌が住み着いています。
 
 たとえばウェルシュ菌などの悪玉菌は、腸内でタンパク質を分解し、悪臭のあるアンモニアや硫化水素などの有害物質や発ガン物質をつくります。これらの物質が私たちの身体の抵抗力を弱めたり、病気にさせたり、老化を速めたりします。
 
 一方、ビフィズス菌などの善玉菌は、腸内を酸性にし、悪玉菌の増加を抑え腐敗物質を作らせないようにします。
 
最近、ビフィズス菌を増やす増殖因子がチーズに含まれていることが明らかにされました。従って、食べれば腸内の善玉菌が増え、腸内環境を良好な方向へ整えることのできるチーズづくりが期待できます。さらに、悪玉菌による腐敗物質が少なくなり、ガンや老化の防止につながると思われます。
 
 
「動脈硬化予防の可能性!?チーズの抗酸化能」
 フランス人は脂肪摂取量(しぼうせっしゅりょう)が多いにも関わらず、心筋梗塞(しんきんこうそく)による死亡が少ないことが知られています。これをフレンチパラドックスと呼んでいます。
 
 鉄が酸素と反応して錆(さ)びる(これを酸化という)ように、私たちの身体もまた錆びる(酸化する)と言われています。これを防ぐ働きが抗酸化作用です。フレンチパラドックスの理由の一つは、フランス人が愛飲しているワインのポリフェノールの抗酸化作用によるものと考えられています。
 
 つまり、悪玉コレステロール(LDL)が酸化された結果、動脈硬化が引き起こされるのですが、ワインポリフェノールの抗酸化作用によりLDLの酸化が抑制されるため動脈硬化が起きにくいという訳です。
 
 フランスでは、ワインと同様チーズをもたくさん食べる習慣があります。フランスのもう一つの食文化ともいえるチーズにも、同様に抗酸化作用による心筋梗塞を防ぐ効果があるのでは?という素朴な疑問から、私たちはチーズの抗酸化能について調べ始めました。
 
 その結果、実験に使用した多くの市販チーズに抗酸化活性が見出され、とくにチーズエキス中に認められた抗酸化活性とチーズ中の窒素量をもとに計算して得られた熟成の度合いとの間に高い相関性(関連性)を見出しました。つまり、熟成の進行したチーズに強い抗酸化力があることを発見しました。
 
 そこで、熟成タイプの青カビチーズ(ブルーチーズ)を用いてその成分が何であるか調べました。その結果、熟成中に生成されるカゼイン由来のペプチドであることを突き止めた訳です。従って、フレンチパラドックスはワインのポリフェノールの他にチーズの抗酸化成分であるペプチドも関わっている可能性が考えられます。
 
 
「ガン細胞の増殖防止」
 わが国におけるガンは、1981年以降、心臓病や脳卒中などの循環器系の病気を抜いて死亡要因の1位になり、今や最悪の病気として恐れられるようになりました。
 
 ガンの発症には、食習慣など生活習慣が大きく関わっています。塩分の取り過ぎは胃ガンの原因になり、脂肪の取りすぎは結腸ガンや乳癌の原因になります。タバコもまた肺がん危険因子として知られています。このような現状のもと、食べ物を通じてガンを予防しようと提唱され始めました。その背景にあるのは、食品中のガン予防になりうる成分の存在が明らかにされてきたからです。
 
 ガン予防になる食品で有名なのが、1995年にアメリカのがん研究所が発表したデザイナーフードピラミッドと呼ばれるピラミッド型の模式図で、ガン予防になる食品をランク付けしたものです。積極的にそのような生理機能を持った食品を食べる事が提唱されています。
 
 白血病は、血液中をながれる血球のうち主に白血球がガン化する病で、わが国でも年々増加の一途をたどっています。
 
 最近私たちは、市販のチーズによってはヒト由来白血病細胞に対して強い増殖抑制活性を持つものがあることを見出しました。この現象では、ガン治療に用いられる薬剤と同じくチーズによってはガン細胞の細胞核やDNAレベルで形態変化を伴う細胞死を誘導することを発見しました。
 
 興味深いことに、このときわかったガン細胞増殖抑制作用の強弱とチーズの熟成率との間にもまた高い相関性があることを見出しました。本研究は、まだ培養細胞レベルでの結果ではありますが、チーズによってはガン予防の可能性を示すものがあるとして期待されるものです。
 
 
おわりに
 今回は、乳発酵食品であるチーズの歴史、製造、発酵と熟成について述べ、最近明らかになりつつあるチーズの生理機能研究の一端を紹介しました。
 
 数千年前から食べられてきたチーズも、その長い歴史から見れば、科学の目で見ることができるようになったのはほんの最近のことと言えましょう。
 
 その結果、チーズは栄養価が高くそして独特の風味や食感までもが組み合わさった味わい深い食品であること、さらには健康面でも有益な食品であることが明らかにされつつあります。
 
 食わず嫌いから、まだチーズの深みを味わったことのない方がいましたら、ぜひこの機会に「チーズ」をバイオの目で味わっていただけますと本望です。
 
平成23年1月5日
著作者 安田伸、井越敬司
東海大学 農学部
バイオサイエンス学科
(阿蘇キャンパス)
 

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