1.はじめに
理科好きの君へ。今回は理科そのものに直接関係する話ではなくて、私たち誰もが持っている“心”ついてお話したいと思います。
君たちも知っているように、私たち人間の脳(のう)は「知」と「情」をつかさどっています。その「情」の部分、それを私たちは一般に「心(こころ)」と言っています。英語では「ハート」と言いますが、心の仕組(しく)みは決して心臓(しんぞう)がつかさどっているわけではありません。でも、なぜ「心」(ハート)と言うのでしょうか? 私は、人間の「情」にはいつもドクドクと温かい血が流れているからだと思っています。つまり、心とは血の通った「感情(かんじょう)」の暖かいゆらぎであると言えます。私たちは、うれしいことや悲しいこと、楽しいことやつらいこと、驚いたことや怒(いか)ったことなど、日々いろいろな感情(=心のゆらぎ)を抱き(いだき)ます。そしてこの心のゆらぎはとても繊細(せんさい)で傷つきやすいものでもあるのです。
さて今回は、そんな繊細な心の仕組みを解明(かいめい)するという科学的な取り組みではなくて、「心を大切にケアする」ということが、私たち人間が生きていく上でどれだけ希望につながり、前向きに生きていく力になるかいうことを話してみたいと思います。だから今回は諸君(しょくん)をちょっと理科の実験室(じっけんしつ)から連れ出して、陽だまりの公園ですごす休み時間だと思って聞いてください。
2.江崎玲於奈博士の話
ところで、今年(平成19年)のお正月にゆっくり新聞を読んでいたら、1973年にノーベル物理学賞(ぶつりがくしょう)を受賞(じゅしょう)された江崎玲於奈(えさき れおな)博士の履歴書(りれきしょ)の連載(れんさい)が始まっていて、その中の次のような言葉がとても印象に残りました。理科好きな諸君の参考(さんこう)にもなるかもしれないし、今回のお話にも関連があると思うので引用して紹介します。これは江崎博士がエジプトでおこなった講演の一部抜粋(ばっすい)です。少し難しい言葉がでてきますが、あまり気にしないで読んでください。
「アインシュタインは『科学の神髄(かがくのしんずい)は、科学者が生んだひかり輝く成果(せいか)ではなく、むしろ、けわしい道を歩んでその成果にたどり着いた創造(そうぞう)の過程(かてい)である』と言っています。サイエンスにはヤヌス*1的二面性があります。一つは、客観的(きゃっかんてき)、論理的(ろんりてき)、理性的(りせいてき)で冷徹(れいてつ)なロゴス*2的な面、これはいわば科学の成果で、教科書などに記されているサイエンスです。学校でもこのロゴス面をあまり強調しますと、科学嫌い(かがくきらい)の生徒が多くなります。もう一つは、主観的(しゅかんてき)、個性的(こせいてき)、情感的(かんじょうてき)で創造性豊か(そうぞうせいゆたか)なパトス*3的な面です。科学者の研究はパトス的な面が濃厚(のうこう)です。直感(ちょっかん)と霊感(れいかん)を頼りに暗中模索(あんちゅうもさく)、悪戦苦闘(あくせんくとう)、試行錯誤(しこうさくご)を繰り返し、やっとたまに、闇の中に光彩(こうさい)を放つようなブレークスルー*4を見いだして歓喜(かんき)するのです。多分ここにサイエンスの神髄があるとアインシュタインは言うのでしょう。」(日本経済新聞 2007年1月3日付朝刊「私の履歴書」より)
*1 註:ヤヌスとは、ローマ神話にでてくる物事の始まりの神で、頭の前後に
反対向きの顔を二つもつ神。
*2 註:ロゴスとは、古代ギリシアの哲学で、世界のすべてを支配する法則、
言葉を通じて表される理性的活動。
*3 註:パトスとは、アリストテレスの倫理学(りんりがく)で、欲情(よくじょう)・怒り・
恐怖・喜び・憎しみ・かなしみなどの快楽(かいらく)や苦痛を伴う一時的な感情状態、情念をいう。
*4 註:ブレークスルーとは、困難や障害を突破すること。また、その突破口。
私はこの話を読んで、科学者にはやはり「心」のあり方がとても大事なのだなぁと、我が意に通じるようで心強く、そして深く感じ入りました。それは「自分らしさ」を表現(ひょうげん)して「情感」を豊かに持ち続けることが、科学者にとってはとても重要なことなのだということです。パトスとは主観的な感情や情感という意味だとすれば、それはまさに「心」そのものですね。つまり「心」というものがいかに人間にとって大切かということを江崎博士は表現していると思います。
3.心のケアの専門職 精神対話士
ところで私は「精神対話士(せいしんたいわし)」という心のケアの専門家です。精神対話士とは、“暖かな心のこもった対話(たいわ)・対応(たいおう)で心のケアをする専門職(せんもんしょく)”のことで、ひとりでも多くの人が心穏やか(こころおだやか)に、前向きな気持ちで、よりよい人生を送ることができるように対話で心を支えることを使命として、1993年に誕生した財団法人(ざいだんほうじん)メンタルケア協会認定(きょうかいにんてい)の専門職なのです。
私たち精神対話士が対話で寄り添っている方たちは非常に多種多様(たしゅたよう)にわたっています。不登校や引きこもりがちな青少年たち、一人暮らしや老人ホームで暮らす孤独(こどく)な高齢者(こうれいしゃ)、そして病気で入院している人やホスピスでターミナルケアを受けている末期がんの患者さんたちなど、孤独と不安で心のエネルギーが弱くなってしまった人たちのもとへ、精神対話士は訪問し、暖かい心でその方の語る言葉を一つひとつ真剣(しんけん)にお聴きしているのです。
私たちはその心の対話を通じて、今、人々の心が如何に孤独感にさいなまれ、弱り、傷ついているかを実感しています。現代社会(げんだいしゃかい)における色々な段階(だんかい)で、私たちはさまざまな困難(こんなん)や危機(きき)に遭遇(そうぐう)します。そして次々と襲(おそ)ってくるストレスにさらされて、私たちの「心」は「誰か助けてー」とか「もっと私の気持ちをわかってー」とか、そして「私の話をもっと聴いてー」と悲鳴をあげているのです。時には深い傷を負ってしまうことさえあります。
そんな心の訴えが聞こえることがあるでしょうか? そういう時は心にいっぱいほこりがかぶってしまっている状態(じょうたい)なのです。家ならばほこりは誰にでも目に見えるので、汚れていたらこまめに掃除(そうじ)をしてきれいにすることができます。しかし心に溜(た)まったほこりは目に見えません。まして心は外に取り出すこともできないので、私たちは知らず知らずのうちに心にほこりがいっぱい溜まっていても気付かないのです。
そんな心のほこりを暖かな対話・対応で取り除いて差し上げるのが、精神対話士というわけです。もっと詳しく言えば、「100%心の味方」になって話を聴き、対話という精神活動を通じて、その人が自らの未来に向かって生きる希望と勇気を持って歩めるように、共に悩み、一緒に考えながら心に寄り添い、暖かく見守る役割を担うのが精神対話士なのです。
5.おわりに
理科好きの君は、これから先の将来において数々の発見や発明をするかもしれません。その過程(かてい)で時にはいろいろ悩んだり、落ち込んだりすることもあるかと思います。挫折(ざせつ)という体験に遭遇(そうぐう)するかもしれません。そういうときには今回のこのお話を思い出して、決して独り(ひとり)で悩まないで、自分の気持ちを誰かに聴いてもらいましょう。また、もし君たちの周りにつらい思いをしている孤独(こどく)な人がいたら、話を聴いてあげよう。
多くの偉大(いだい)な科学者たちは、必ず自分の心の居場所(いばしょ)を持っていたと言われています。現代は情報通信手段(しゅだん)が発達し、「いつでも・どこでも・だれとでも」が恩恵をうけられるユビキタス社会と言われています。しかし携帯電話(けいたいでんわ)やメール、インターネットなどどんなに便利になっても、心というものは「今だけ、ここだけ、あなただけ」の絆(きずな)を必要としていることを忘れないで覚えておいてください。
諸君が今日のお話に興味や関心を持ってくれたのなら、次は検索(けんさく)をしてみてください。アドレスは
<http://www.mental-care.jp/>で「精神対話士」というキーワードでもたくさんのことが紹介されています。そして納得(なっとく)できたら今度は行動です。
最後に、私は豊かな情感・パトスにあふれた理科好き諸君がたくさん増えて、未来に貢献することを期待しています。
完
平成19年1月23日
池田 雅一(いけだ まさかず)