第77話 
 インターフェロンの発見者は語る −インターフェロン発見への道−
 

 
「主な対象読者」
 何ごとにも興味を持てる若者および年齢に関係なく知的好奇心が旺盛な人達を主な読者と考えました。
 
「本文掲載の目的」
 ルイ・パストゥール、ローベルト・コッホや北里柴三郎などによる大発見から開花した微生物学は、その後多くの関連分野を派生的に生みだした。そのなかの一分野の免疫学は、北里柴三郎博士が「破傷風菌の産生する毒素に対する免疫抗体と母児移行抗体の発見および血清療法の確立」(1891年)などから始まり、利根川進博士は「多様な抗体を生成する遺伝的原理の解明」が認められてノーベル賞を受賞した(1987年)。
ガンやウイルス感染症の治療薬として使われているインターフェロンは、1954年に長野泰一博士と小島保彦博士によって発見され、インターロイキン(またはサイトカイン) などと呼ばれる情報伝達分子の研究の先駆けとなった。この分野も免疫学と同様に日本人研究者の独壇場となっている。
 
インターフェロン(インターロイキン)研究の流れ
1954
1957
1970
1972
1973
1979
1980
1983
1985
1986

長野泰一・小島保彦
A. Isaacs
L. J. Old
K.Cantel・岸田綱太郎
石坂公成・岸本忠三
谷口維紹・長田重一
谷口維紹・長田重一
谷口維紹
本庶 佑
本庶佑・高津聖志
岸本忠三・平野俊夫
長田重一
 ウイルス抑制因子の発見
 長野らと同じ分子を発見、インターフェロンと命名
 腫瘍壊死因子(TNF)を発見
 骨肉腫患者へのインターフェロンの臨床応用
 インターロイキン(IL)6など(30種以上存在)を発見
 インターフェロンαとβの遺伝子解析
 インターフェロンにα、βとγの3分子の発見と命名
 IL-2の遺伝子構造の解明
 IL-4の遺伝子を分離し塩基配列を決定
 IL-5クローニングに成功
 IL-6の遺伝子の塩基配列を決定、作用を解明
 G-CSFクローニングに成功
微生物の味と香
 
 
 最初はウイルス抑制因子と命名されたインターフェロンの発見者「小島保彦博士」にこれからの日本を担っていく若者に向けて、インターフェロンの発見とインターフェロンを誘導するハーブの発見について、やさしく語って貰えるようお願いした。快くお引き受けいただけましたので、本稿では、どのような経過を経てウイルス抑制因子(インターフェロン)と呼ばれる因子の大発見がなされたのか、発見者本人でなければ知らない研究の側面について語って貰いました。大変に貴重な内容となっています。尚、インターフェロンを誘導するハーブ(漢方薬)の発見については、次の機会に語って貰います。期待していてください。
 
 
理科好き子供の広場
文責  田口 文章
 
 
本 文 目 次
 
 著者 小島保彦
 

 
 
第77話 インターフェロンの発見者は語る−インターフェロン発見への道−
 
偶然に訪れた研究の出発点
 「人間誰しも、自分の人生を決定づけたこの人」と言う恩師がいると思う、これは新聞に掲載されていた一文です。長野泰一先生は、私にとってまさにその人でした。長野先生の弟子の中で最も長い 20 余年間指導を受けました。その間にあって、インターフェロンについての論文は、長野先生と私との連名にさせてもらっています。
 
 いまは亡き父の親しい友人から「東京大学伝染病研究所の教授長野先生の研究室で助手を一名欲しいとの事だが、君はどうかね」と声をかけて貰えました。早速に伝研 (伝染病研究所の略〉に長野先生を訪ねました。
 
 面接試験の第一声は「給料は低いが給料を気にしていたら研究はできないが大丈夫か」の一言でOKとなりました。私は一生研究を続けるほど頭が良いとは思っていなかったので、4〜5年したら民間企業にでも移るつもりでいました。そこで、長野先生の専門であるウイルスの基礎研究よりは、長野先生が同じく担当していたジフテリアの卜キソイド (ワクチンの一種〉作りに専念することにさせて貰いました。
 
毎日が楽しい実験の連続
 毎日の実験が楽しくて、徹夜もしばしば行いました。外国からの文献も容易に入手できるようになりました。それらの外国語の文献から得た知識をさっそく活用して、弱アルカリ性の条件で肉を卜リプシン(タンパク質分解酵素)で処理した消化物を加えたポープの培地や豚の胃袋を酸で自己消化物を添加したテイラーの培地になどを使うと、これまでの肉汁培地よりはジフテリア菌が産生する毒素量を高くしました。
 
 私の密かなヒラメキ(思い付き)で、ポープの培地とテイラーの培地を等量混合した培地ではジフテリア菌の産生する毒素量はどうなるかを試してみたくなりました。その結果は、これまでの文献に記録のないほどの世界最高の毒素量をジフテリア菌が産生させることに気がつきました。無関係な二つの培地を混合する事によって相乗効果がでたのだと思っています。毎日の観察、集中力と直感の重要性を感じました。このときの成績が私の最初の発表論文となりました。
 
ジフテリア菌の新しい培養法
 ちょうどその頃、梅沢浜夫先生(カナマイシンやブレオマイシンの発見者)が伝研の敷地内に新しいペニシリンのタンク培養用の試験製造施設を建設し、私の友人もその施設に採用されてきました。
 
 ペニシリンを産生するカビのペニシリュームは増殖するのに酸素を必要とする好気性菌であり、またジフテリア菌も同じく酸素を必要とする好気性菌であることから、これまでの静置培養法(菌を接種した培地をゆり動かさないで静置して培養する方法)に代えて、ペニシリンの試験製造施設内にある振盪器(菌を接種した培地をいれた丸型フラスコを前後左右にゆり動かす装置)を借用してジフテリア菌の培養液により多くの酸素を送り込める振盪培養法を試みました。
 
 その結果、これまでに報告がない世界最高のジフテリア毒素が産生され、また静置培養法では最高の毒素量に到達するのに7日間も必要とした培養時間が36時間に短縮され、さらに培養液の抜き取りや薬剤の投入も容易になりました。これらは日本でも最初の成果となりました。
 
 これを機に生化学に堪能な三橋進先生(群馬大学医学部に転出後は薬剤耐性機構の研究)の指導を受けながら、ジフテリアワクチンの作り方からジフテリア菌の毒素産生機構の解明に向かった実験に方向をかえました。
 
 長野先生からは、知識を広める事も大事だが、すぎると知恵が出なくなることを教えられました。昔の話ですがイギリスのエドワード・ジェンナーは、患者の牛の乳しぼりの娘から「人が牛の局所のオデキである牛痘に一度罹(かか)ると、天然痘が流行してきても二度と罹らないか、または軽くすむ」との言葉がエドワード・ジェンナーの頭からはなれずにいました。これを聞いた10年後にジョン・ハンター教授にその時の話をすると、「考えておらずとやって見るが良い」といましめられました。
 
 この一言が種痘という世界最初のワクチンの発見へとつながったのでした。地図を見たり眺めたりしているだけでは、山並みの全体像を把握することは難しいので、実際に現場に出かける努力をして初めて山並み全体を把握することが可能となるので、努力することの大切さを学びました。
 
 この間、三橋先生から多くの生化学実験法も学ぶことができました。大学時代に化学の教授から、実験に行きづまった時は「温度、pHと浸透圧などの指標を色々と変えて、基礎条件をしっかりさせておく事が大切」と聞かされていました。私の実験人生において、この実行は想像もつかない新しい結果を生むこととなりました。
 
 その後まもなくジフテリア菌が産生する毒素の産生機構についての新しい成果の公表が契機となり、細菌が作る毒素研究に多くの賛同者を得て、全国的な細菌毒素研究会を発足させることができました。
 
長野研究室でウイルスの研究
 しかし、残念ながらそのうちに三橋進先生がアメリカへ留学することになり、当時25歳であった私の研究を直接に指導してくれる先生がいなくなってしまいました。長野先生から、ジフテリア菌の研究を続けたいならば他の専門部所に移るがほうが良い、またはウイルスの研究を選択するのであれば、私の研究室に残ることの提案がなされました。
 
 長野先生の人柄をあるていど承知していましたから、私は自分の将来を考慮したうえで、長野先生の直接の指導を受けて細菌の研究からウイルスの研究へと方向変換をすることに決めました。この研究分野の変更が、ウイルス抑制因子(後のインターフエロン)の発見にむすびつくとは当時は想像もしていませんでした。長野先生との素晴らしいコンビネーションの始まりでした。
 
最初の研究テーマ
 昭和2O年代の後半になっても、日本脳炎、狂犬病や天然痘といったウイルス性の急性感染症の脅威は続いていました。ウイルスの研究へ方向転換して、長野先生から与えられた私の最初の研究テーマは「天然痘の予防のための精製紫外線不活化ワクチン(ある程度精製したウイルスに紫外線を照射してウイルス増殖力を不活性化したワクチン)の作製」でした。
 
 エドワード・ジェンナーが開発した天然痘ワクチンとしての種痘は、ワクチン接種により天然痘への予防効果は確かにありましたが、生きているウイルスを用いるために副作用も強く、種痘として皮膚に接種したウイルスのために腕に瘢痕が残ることは特に女性には嫌われていました。
 
 精製紫外線不活化天然痘ワクチンは、不活化(殺)したウイルスをワクチンとして注射するためこれらの問題を解決する目的に適していました。細菌性感染症に対しては特効薬としての抗生物質がすでに開発されていました。しかし、ウイルス性感染症への感染対策にはワクチン接種による予防策以外にはなにも無い時代でありましたが、その反面ワクチン作製のために使われるウイルスの精製も行われていませんでした。今から考えると当時のワクチンにはウイルス以外に多くの随伴物が混入していたことになります。
 
 ウイルスに紫外線を照射することは、免疫に関与するウイルスタンパク質よりは生命体のDNA情報をより選択的に不活性化することが知られており、自然感染に近い免疫効果が得られる斬新(ざんしん)な方法と考えていました。
 
紫外線照射によるウイルスの不活化
 当時の長野研究室では、狂犬病ウイルスやリフトバレー熱ウイルスの不活化(感染力を失くした)ワクチンの試作研究を行っていました。ウイルスの不活化には、タンパク変性剤としての石炭酸(別名フェノール)やホルマリン(ホルムアルデヒドの水溶液)の添加が主に用いられていました。このことは、石炭酸やホルマリンがワクチンにある程度残存することを意味します。濃度にもよりますが、これらの不活化剤は痛みの原因となります。
 
 ウイルスの不活化に紫外線を照射する方法は、ワクチンに紫外線が残存することはなく、ウイルスタンパク質に強い傷害を与えてないことから、化学薬品による不活化ワクチンより紫外線不活化天然痘ワクチンの方が感染を防御する能力が優れ且つ痛みや腫れなどの副作用も少ないことが間もなく立証されてきました。
 
理解できない不思議な現象
 ウイルスをまず精製し、それに紫外線を照射して不活化したウイルスをワクチンとして用いる実験を私が担当する1953年より以前に、長野研究室には博士号の学位を取得するための論文作成に多くの医師が来ていました。眼科医はウサギの眼の角膜(1951年〉で、また皮膚科医はウサギの皮膚 (1953 年) で、 紫外線不活化牛痘ワクチン(精製してないウイルス)による効果の実験をするため生きている活性牛痘ウイルスの増殖阻止実験が行われていました。
 
 ウサギの眼の角膜を用いた実験系でもウサギの皮膚の実験系でも、驚いたことに「生きているウイルス」を接種した翌日にもうすでにウイルスの増殖が阻止されることが観察されていたのです。比較実験対照としてすでに免疫をすませて接種した免疫(中和)抗体(血清)では後から与えたのではウイルスの増殖を阻止する効果は観察されませんでした。
 
 ウサギに抗原としてのワクチンを接種して免疫抗体が誘導されてくるようになるには、抗原を接種してから少なくても一週間から数週間の期間を必要とすることは世界の常識でしたから、ここで得られた成果は、これまでの免疫学からは全く考えられない想定外の非常識な現象でした。
 
 実験科学者としては当然のことですが、この理解しがたい不思議な現象がどのような条件のときに観察されるのかその全体像を把握したいとの希望と、またその現象が起こる原因や理由が何であるのかを明らかにしたいと考えました。
 
 そこで実験の手始めとして、先の先輩が行ったウサギの皮膚を舞台とする、精製してない粗ウイルスを用いての追試実験を何回もくりかえし行いました。その成果は、再現よく常に成功でありました。そこで精製したウイルスでも実験を試みました。
 
 当時のウイルスのワクチンは、精製されてない粗ウイルスが用いられ、さらにウイルスの不活化には石炭酸、加熱やホルマリン等のタンパク変性剤が一般に使われていました。そしてワクチンとしては、ウイルス粒子自体が感染防御作用を示すものと理解されていた時代でした。
 
超高速遠心機の導入
 丁度その頃、安全性の高いアメリカ製の冷却装置付きの低温真空超高速遠心機が日本に始めて輸入され、その第一号機が東大伝研に導入されました。この最新式の超高速遠心機の強い遠心力を使うことで牛痘ウイルスの精製が非常に安価で大量生産が容易になりました。幸いなことでした。
 
 牛痘ウイルスに細菌が混入していたとしても、最初に毎分2500〜3500回転前後の遠心力をかけるとある程度の大きさの細菌などの随伴物または狭雑物は遠心管の底に沈降させて除けます。次に毎分7000回転の超高速遠心力をかけることで天然痘ウイルス粒子は、遠心管の管底に沈むので、ウイルスを含まない遠心上清を注意して取り除き、沈殿したウイルスを少量の緩衝液に浮遊させて採取しました。
 
 緩衝液に浮遊させた沈殿ウイルスを精製ウイルスとし、紫外線を照射したウイルスをワクチンとして用いると、精製してない粗ウイルスの紫外線不活化ウイルスをワクチンとした場合と異なり、予想に反してウイルスの増殖を阻止する効果が認められない精製紫外線不活化ワクチンのあることにしばしば遭遇しました。
 
 不思議な現象が起こる原因や条件を探るために、ウイルス素材にウサギの睾丸苗(こうがんびょう)、皮膚苗(ひふびょう)や孵化鶏卵漿尿膜苗(苗とは天然痘ウイルスのこと)等を用いたり、紫外線ランプの劣化を考慮して新調ランプに交換したり、紫外線の照射距離と時間を変化させたり、外部の光学研究所に出向いて紫外部の単一波長を出すための水晶のウォータープリズム等の使用などをも試みましたが、恒常的な成績は得られませんでした。何が何だか判らないとまどいと思考錯誤の2ヶ月が過ぎました。
 
ウイルス抑制因子の発見
 原点にもどって、精製する前の粗ウイルス材料に紫外線を照射してから超高速遠心機にかけて、遠心管の底に沈殿したウイルス粒子とこれまでは捨てていた上清液を分けて採取し、牛痘ウイルスによる発痘を阻止するテストを試してみました。その結果、ウイルス粒子は紫外線を過剰(長時間)照射するとワクチンとしては不活発(不安定)になってしまうことと遠心上清液の方は長時間の紫外線照射に対しても安定であることを発見したのです。ここで始めて牛痘ウイルスの増殖を抑制する因子として、粗ウイルス材料中に「紫外線照射に不安定なウイルス粒子」と「紫外線照射に抵抗性の遠心上清可溶性因子」が混在することに気がついたのです。
 
 粗ウイルス中に含まれるウイルス粒子とは別に存在する可溶性因子がウイルスの増殖を抑制する現象は、これまでに報告がありませんでした。この上清液に含まれる因子に対してウイルスの増殖を抑制するという意味で「ウイルス抑制因子(後のインターフェロン)」と名付けました。インターフェロンと免疫抗体の違いを表1にまとめて示しました。詳細な説明なしに表に記載されている項目を理解することは難しいとは思いますが、何がしかの違いを分かってもらえればと思います。
 
表1 インターフェロンと免疫抗体の違い
  インターフェロン 免疫抗体
誘導物質 ウイルス 抗原物質
産生系
 
動物個体、培養細胞、リンパ球、
マクロファージ
動物個体、プラズマ細胞
 
物質 タンパク質、糖タンパク質 グロブリン
分子量 15,000〜20,000 150,000〜900,000
特異性 宿主細胞の種 抗原
pH2.0処理 安定 不安定
産生時間 数分〜数日 数日〜数年
体内持続性 数日 数年
 実習微生物学(広川書店)
 
 北海道大学医学部の教授中村豊先生は、細菌濾過器の一種類でザイツと呼ばれる濾過器のEKフィルターは、通常のウイルスは通過してしまうがウイルスとして最大の大きさの牛痘ウイルスはザイツのEKフィルターを通過しないことを既に報告していました。
 
 そこで長野先生の指示を受けてウイルス抑制因子と名付けた遠心上清液をザイツ濾過器のEKフィルターにかけて濾過してみました。するとウイルス抑制因子は、ザイツ濾過器のEKフィルターを通過してしまったのでした。
 
 超高速遠心機と細菌濾過器のザイツEKフィルターを用いた一連の予備実験から、ウイルス粒子とウイルス抑制因子を完全に分けることができるようになりました。紫外線不活化牛痘ウイルスの発痘阻止作用については、第2回日本ウイルス学会総会(1954年〉で私が発表しました。
 
 その発表会場で北海道大学医学部の教授山田守英先生が質問に立たれ、牛痘ウイルスとウイルス抑制因子は細菌濾過器のザイツEKフィルターを通過するか否かを確認する質問をされました。この時の発表内容の抄録と討論の模様は、日本ウイルス学会誌「ウイルス」の1955年発行号に掲載されています。
 
 ウイルス材料中に10の8乗(1億)個の感染力を持ったウイルス粒子(敵〉とその増殖を抑制する上清液(味方〉が共存していたのです。私は抗原と抗体の関与する免疫反応では、観察されたことのない新たな現象にとても魅力を感じました。私の本命の研究テーマである精製したウイルスを紫外線照射した不活化ウイルスワクチンを注射した時より早い時期に観察される発痘阻止作用の機構解明の合間に、ウイルス抑制因子の全体像の把握とその作用の究明も続けていました。
 
最初の学術発表
 1956年、第4 回日本ウイルス学会総会において、小島と新川(北大卒、学位副論文〉の連名で、精製紫外線不活化ウイルス粒子ワクチンによる早期に出現する発痘阻止作用の山(阻止作用の強さを縦軸に時間の経過を横軸にして、阻止作用の強さの程度を示す曲線を描いたときの最も強いピークを意味する)は干渉現象によること、ワクチン接種後7日に再度出現する阻止効果の山(ピーク)は中和抗体による免疫効果であることを発表しました。
 
 さらに、この一連の研究の詳細は、東京お茶の水にある日仏会館で開かれた日仏生物学会(1957年9月)で長野と小島の連名で発表し、その概要はフランスの生物学雑誌 Compt. Rend. Soc. Biol. (1958)に掲載されています。その後直ちに行われたウイルス抑制因子による天然痘ウイルスの発痘抑制試験では、紫外線不活化ウイルスと同程度の極めて初期に検出される干渉現象の阻止効果の一つのピークのみが観察され、その後暫時低下して5日以降阻止効果は完全に消滅し、ウイルスワクチンのような中和抗体産生による後から出現する阻止効果は出現しませんでした。
 
アイザックスがインターフェロン発見
 1957年、英国のアイザックスIsaacs らは、加熱して不活化したインフルエンザウイルスと孵化鶏卵漿尿膜片の組合せる系で干渉現象の研究をしていました。これまでにウイルス同士が栄養源の奪い合いの結果と考えられていた干渉現象は、実は不活化ウイルスと宿主の相互作用によって新たに生産されたウイルス粒子とは異なる可溶性因子によるということをアイザックスらは発見し、ウイルス増殖を干渉Interference をする因子としてインターフェロンInterferonという新しい名前をつけたのです。
 
 我々の発見したウイルス増殖抑制因子は、活性ウイルスをウサギの皮膚で増殖させたウイルス材料中にウイルスの増殖と共に産生され、ウイルス粒子とは異なる可溶性因子として捕らえられたのです。この時点で両者が同一物に属するかどうかは、似ていますが確証には至っていませんでした。
 
 1960年、ウイルス増殖抑制因子に関する第2報として生化学的性状を報告した時点で、インターフェロンとウイルス増殖抑制は同一の部類に入ることが判明したのです。1960年代に入ると世界の多くの研究室から、 不活化ウイルス以外に活性ウイルスや持続感染ウイルスなど様々なウイルスと宿主との組み合わせ系によってインターフェロンが産生されるという報告が出され、ウイルス増殖抑制因子とインターフェロンの研究が活発に行われるようになったのです。
 
 インターフェロンの研究が進むにつれて、インターフェロン(INFと略称)には性質の異なる3種類が存在することが明らかとなり、α型、β型とγ型と分類されるようになりました。私たちが報告した最初のウイルス増殖抑制因子は、α型のインターフェロンであったと推測されます。3種類のINFの性状の違いを表2に示しました。専門的な事柄に関するものですから詳細は一般の人には理解できないかと思います。しかし、抗ウイルス作用や抗ガン作用に違いがあることを知ってもらいたいと思います。
 
表2 インターフェロン(INF)の種類と性質
性 質 INF-α INF-β INF-γ
産生細胞
 
白血球(リンパ球、
マクロファージ)
繊維芽細胞、上皮細胞、マクロファージ T細胞、NK細胞、
マクロファージ
誘導物質
 
ウイルス
 
ウイルス、
ポリIC複合体   
ウイルス以外の抗原、PHA、Con A
分子種 15種以上 1種 1種
分子量(単量体) 20,000(単量体) 20,000(2量体) 20,000(2-4量体)
熱安定性(56℃,30分) 安定 安定 不安定
pH2.0安定性 安定 安定 不安定
種特異性の有無 有(強い)
イントロンの有無 有(3)
抗ウイルス作用の程度 強い 強い 弱い
抗ガン作用の程度 弱い 弱い 強い
免疫増強作用の有無
 基礎病原微生物学(広川書店)
 
さいごに
 ここに記載したように理解できない不思議な現象にぶち当たりながら、また多くの失敗を重ねながらウイルス抑制因子は、天然痘予防ワクチンの作製研究の思わぬ副産物として難産のすえ生まれたのです。常識では理解または解釈できない不思議な現象または成果に遭遇した時は、操作や計算などの単純なミスによるか、または大発見のどちらかであり、概して前者の方が圧倒的に多いと思われます。
 
 当時の社会環境、研究機器や研究費などの研究環境や研究や人材などの経済状態の理解なしには、世界の研究者に先駆けて世界を相手に展開する研究の困難さの真の姿は解らないものでしょう。いずれにしても魅力を感じ興味を持つことが、集中力と観察力を高めるものと思っています。
 
 このように書いてしまうと、インターフェロンの発見への道のりは、順風満帆であまり問題もなかったかのように取られてしまいそうな気がし、さらに小島は幸運な星の下に生まれたきわめて恵まれた人と思われてしまいそうです。
 
 しかしながら、時には得られた成績をどのように解釈すべきかに悩み、時には自信を失いかけて落ち込んでしまったり、また他人からの批判や非難めいた発言に打ちのめされそうになったり、喜びと悲しみおよび困難の連続でありました。
 
 一方、職業としての科学は、大変に魅力的で素晴らしいものと実感しています。これからの日本の科学の旗手として皆さんが活躍されることに期待しています。このような望みを持って本稿を終わりにします。最後までお付き合いしてくれてありがとう。
 
平成22年8月1日
  著作者 医学博士 小島 保彦(やすひこ)
NPO法人インターフェロン・ハーブ研究所々長
日本インターフェロン・サイトカイン学会名誉会員


 

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