第32話
 国連職員をめざす人のために −その2−
 

 
 
「主な対象読者」
 将来は国際的に活躍したい、または将来国連職員になりたいと考えている高校生から大学生および40才代の転職可能年齢層が主な対象です。これを読んだ親御さんは周りにいる若者に国連職員という職種があることを説明してもらいたいと願っています。
 
「本著作のめざすもの」
 国連職員になるにはどうすれば良いのか、その道を教えてもらいたいとの問合せを聞くことがあります。そこで、「国連職員をめざす人のために」という若者への指針的な散文を筆者の個人的な体験にもとづく内容を含めてまとめていただきました。
「その1」から「その5」の5編に分けて連載します。
尚、この原稿は、いずれ単行本にしたいと考えています。
 
 
本 文 目 次
 12部長の死
 
 19空席情報
 
以下、次号
国連職員をめざす人のために −その3−
 第五章 私のケースを紹介しよう
 
国連職員をめざす人のために −その4−
 第六章 国際機関と日本人
 
国連職員をめざす人のために −その5−
 第七章 採用試験
 第八章 おわりに
 
著作 玉城 英彦
 
 

 
 
第32話 国連職員をめざす人のために −その2−
 
第三章 最初の仕事がエイズ対策
8.赴任したばかりで!
 WHOがどういうところなのかも、また仕事についてもまったく知らなかった私は、伝染部長付け疫学課に配属された。課長と一人の職員と私の三人の専門官(プロフェショナルスタッフ)と三人の秘書からなる小さい課で、主に部長の緊急の仕事をサポートすることが主な任務だった。仕事に慣れていないのに、毎日の仕事を英語ですること、特にすべてを英語で書くことが辛かった。うまいとも思えないへたな手書きの原稿を秘書に渡すと数時間すると立派な英文で戻ってきた。このプロセスでかなり書く能力を身につけた。それから何人かの秘書が変わったが、秘書の中でも文章のうまい人そうでない人がいることが判るまでになった。
 
 ここに配属されて直ぐから、米国アトランタ市にある米国疾病対策センターなどから毎日のように送られてくるエイズに関する情報の処理・対応に追われた。ニューヨークやロスアンジェルス、ストックホルム、パリなどの先進国の大都市に住む比較的裕福な一部の男性同士(MSM男性とセックスする男性のこと)の性行為で感染する特殊な病気が流行しているという。
 
 いままでに見たことのない免疫不全の感染症で、治療方法もない不治の病で、特に若い男性に多発しているらしい。米国では20世紀末最大の伝染病の到来であるとして、医学界はもちろんのことマスコミでも大騒ぎしていた。有名な俳優などもこの病気に感染し、死を待つだけであると報じられている。この病気の恐怖は米国だけでなく世界を震撼させていた。
 
9.アフリカからの便り
 この原因不明の病気は先進国の男性が中心で、これもゲイの間でしか流行が見られないと思われていたが、アフリカの状況が世界のエイズの疫学像を一変させた。先進国の裕福層だけではなく、アフリカの一般のひとの間でも流行していることが次第に明らかになっていった。そこでは、MSMではなく、異性間の性行為が主な感染様式であるらしい。また、セックス以外に、輸血や母子感染などでもうつるらしいことが徐々にわかってきた。
 
 米国やフランスだけではなく、アフリカでも大流行しているらしいことを世界のメディアは大々的に報道し始めた。メディアだけではなく加盟国から問い合わせが殺到し、WHO内にも緊張感が高まってきた。
 
 アサド伝染病部長と疫学課の二人のスタッフはこれにかかりきりになっていた。それでも人不足である。WHOに赴任してまもなく、彼らの手伝うように部長から言われたことが、私とエイズのめぐり合わせである。1985年5月ごろの話しである。
 
 私が1985年、熊本県水俣市にある環境庁国立水俣病研究センターからWHO本部(在ジュネーブ)に赴任したころ、WHOでエイズは全世界的な公衆衛生問題としてとらえられていなかった。当時、エイズプログラムという名の活動はWHOにはなかった。しかし、当時、米国と中心とした多くの国から、奇病発生の知らせがテレックスやファクスでWHOに送られてきていた。また、インターネットが普及していなかった時代だ。
1985年ごろ、私を含めた三人のスタッフが、WHOのエイズプログラムの産みの親とでもいうべき当時の伝染病部長ファカリ・アサド博士の下で、世界の多くの伝染病のひとつとして、エイズを片手間で細々と行っていた。伝染病部はその他に、インフルエンザ、上気道感染症、麻疹、性感染症、天然痘など多くの感染症を扱っており、それだけでも猫の手も借りたいほど忙しかった。
 
 私たちの部屋に入ってくるテレックスの数は日増しに増えていった。ファカリは電話の対応にかかりつけで、隣からいつもの大きな声が聞こえてきた。秘書たちも電話の対応にてんやわんやで、毎朝部長室に行くのが怖いくらいであった。
 
10.国連機関の情報量にびっくり!
 WHOの情報量はすごい。朝、部長室にいくとファクスとテレックスが山のように積まれていた。ファカリはそれを一つずつ読みながら、これはだれ、それはだれと適切な指示を出していた。今のインターネットの時代は情報量がもっと多いが、自前の情報をホームページに掲載できるので問い合わせなどに以前より迅速にかつ正確に対応できる。いずれにせよ、国連機関に集まる情報量は相当なもので、多くの領域に関心を常に寄せていると自然とこれを吸収することができる。これだけでも十分勉強になる。
 
 私たちスタッフは、といっても私を含め三人であったが、それを部屋に持ち帰ってテキパキと処理しなければならなかった。米国とは10数時間の時差があるので(当時の電話の相手はほとんどが米国人であった)、それを考慮して動かなければならない。帰宅前にオペレーターに外線電話の自宅転送を依頼することもあったので、帰宅後も深夜に電話がなることが多かった。
 
 エイズ問題は収まるどころか、どんどんひろがっていった。スタッフの数にも限界があったので、ファカリの努力によってWHOに初めてエイズ担当の課が設置された。国連機関で一つの病気を対象として対策のための課(ユニット)を新規に創設することは大変なことである。しかしながら、入社したばかりの私にはその苦労を知る由もなかったが。
 
 課長候補にたくさんのひとが推薦されてきていた。一つのポストといえども、世界が相手なので、数百人のひとが応募してくる場合もある。その中からポストにあったひとを見つけだすのは至難の業である。国連機関といえども、”Who knows who!”の小さいサークルのなかから自分が知っているひとを最優先に選ぶことが多い。だから、国連専門機関がそれぞれ、あるいは国連全体で確立している人材ロースターなどへ登録していてもほとんど声はかかってこないであろう。
 
 ポストに適任かどうかを判定する材料の一つは、WHO会議や国際会議などでどの程度活躍できるかどうかである。特に、課長レベルの人事では、部長が候補者を直接知っているかどうかがポイントである。逆に、部長が知っているひとを直接引き抜く場合もある。国連機関の業務を上手く追行するためには、科学的な業績とは別の資質が要求されるので、大学のように研究業績一辺倒ではない。研究業績も評価の対象になるが、世界のつわものが相手であるのでリーダーシップと政治力を発揮できそうなひとが高い評価を得る。
 
11.耳学問の薦め
 WHOに就職したばかりであったので、国際社会での言葉や習慣などにまだ惑わされている時であった。先輩スタッフの言葉のうまさ、文章能力の高さには脱帽していた。母国語が英語ということもあるが、その機動力には目を見張らせられた。水俣の田舎から出てきたばかりのものには想像を絶するスピードで世界は動いていた。
 
 緊急時は頭で考えるより、まず行動である。歩きながら考える。われわれ日本人は、知識の詰め込みが主で、行動することを学校で教わらない。勉強は学校でだけするものであるかのような風潮が強い。だから、いわゆる「耳学問」を重要視しない。耳学問だけをやれとは言わないが、ひとの話しに耳を傾け、自分の意見を述べ、ものごとを自分なりに整理する能力は極めて重要なことである。ひとの言うことを上手に拝聴し整理できるひとは、それなりにすごい知識とアンテナを持ち合わせている。会話と会話の空間から素晴らしいアイデアも湧いてくる。「いじめ」「自殺」などの学校問題が大きく報道されている今、わが国の学校教育に不足しているのはこのことなのかもしれない。
 
 話はそれたが、このような状況が一年ぐらい続いた。この間、ファカリ・アサドと私は1986年8月に二週間インドネシアに出張した。もっとも暑い時期であったが、彼はいつもの明るさで精力的に動いていた。性感染症の課長ポストのためのインタービューもジャカルタのホテルのロビーで行っていた。インタービューされたひとは後日採用されて、同僚となった。
 
12.部長ファカリ・アサド博士の死
 ひとの運命はわからない。ファカリ・アサド博士は、その後体調を崩し、一度職場に短期間復帰したが、その年の12月のクリスマス直前に現職のまま帰らぬひととなった。
 
 死因は急性骨髄性白血病であった。私に彼のインタービューを受けたことが契機となってWHOに就職することになった。インタービューは彼の奥さんも同席の下、皇居の前の帝国ホテルで行われた。夜の明かりに映えた皇居を眺めながら、WHOの仕事やジュネーブの生活などを聞いたことが昨日のことのようによみがえる。
 
 彼は、WHO職員として台湾で数年間仕事したこともあって、アジア通であった。また、日本人の多くの友人をもち、奥さんともに日本ひいきであった。ファカリは仙台で開かれた国際ウイルス学会に参加したついでに東京によって、私を面会する時間をわざわざ作ってくれた。
 
 ファカリは笑みが絶えなった。彼の周りには何時も笑いがあった。その笑い声は大きく、廊下の隅々まで響き渡った。当時のWHO事務局長アルフレッド・マーラー博士は、彼の笑いを、infectious laughすなわち、「感染症のように笑いを回りのひとに伝染させる」という意味のようなことを言っていた。
 
 
第四章 国連職員になるには
13情熱はエネルギー
 前章では、WHOの一つのプログラムの衰勢とともに生じる国連社会での人間模様を書いた。WHOなどの国連機関ではクビの宣告も日常茶飯時で、厳しい環境であることには変わりない。その状況を理解してのことかどうかはわからないが、国連職員になりたいと思うひとはかなり多い。学生のサークルや会議などに誘われて行くと、国連の職員になるにはどうしたらよいか、というような質問を頻繁に受ける。このような学生は一般的に情熱的だ。
 
 もちろん、情熱だけでは国連職員にはなれないが、純真無垢な情熱はエネルギーだ。猪突猛進は今年の干支からくるが、若い頃は前だけを見てがんがん攻める姿勢とエネルギーが必要だ。このエネルギーを有効活用して、多くの若いひとが自分の夢を叶えてほしいと願う。これらの学生たちを見ていると、自分の若い頃とダブって他人事とは思えなくなる。できるだけ応援してあげたい。
 
 北海道大学医学部の学生は、私が赴任した2000年から少なくとも年一回、ジュネーブのWHO本部を訪問し、国際保健の現場を見聞している。一見は百聞にしかずで、その後学生の態度が一変する。最近ではさらに、途上国の現場に学生を連れまわしている。この研修活動は学生に人気があり、最近特に上昇中だ。
 
14.国際公務員か国連職員か
 さて、ここでは、WHO(ここでは国連機関と同意語で使っている)に就職するにはどうすればよいか、ということについて記述したい。外務省国際機関人事センターでは、「国際公務員への道」「国際機関職員」「国連職員」と題して、若いひとにメッセージを発信している。外務省国際機関人事センターでは、30年前からアソシエート・エキスパート(AE)・プログラムを開始し、多くの若い日本人を国連機関職員として送りだしている。【コラム1】

コラム1 国連職員の道
1. 公務員としての出向
2. 空席情報への応募
3. AE/JPO(Associate Expert/Junior Professional Officer)
4. 国連職員採用競争試験制度
5. コンサルタントなど
6. インターン制度(職員ではなく無給のトレーニング制度)
 
しかし、このアソシエート・エキスパートプログラムを終了した後で正職員になる割合が低いなど、問題がないわけではない。正規職員への雇用率を上げるための戦略的なアプローチが必要であるばかりか、その他のいろいろなポストに邦人職員を組織的に送り込む国家的な戦略が求められて久しい。政府ももう以上のエクスキューズすることは許されないのではないか。
 
 さらに、専門をきわめて、コンサルタントとして短期の国連職員になることもある。これはかなりの経験が必要だが、国連専門機関の正規職員になるためには、一応経験しておいた方がよい。
 
15自分を裸にして!
 その他にもいろいろな方法【コラム1】があるので、WHOという限られた機関での経験であるが、国連職員になるための方法をいくつか紹介する。
 
 さて、なぜ国連職員になりたいのか。何が目的で国連機関に就職したいのか。外国での仕事のかっこうよさではなく、国際人として世界の平和、健康および福祉の向上のために、貴方は何ができるのかを貴方自身が事前にしっかり考えておくべきである。
 
 国連機関職員だからこそできる仕事が、世界にはたくさんある。世界は貴方のような情熱のあるひとを必要としている。
 
 このエッセイは、国連機関で成功したひと、失敗したひとの話でも何でもない、ごく一般の職員が体験した普通のことである。いえば、15年という歳月で私個人が学んだもの、体験した経験則みたいなもので、汎用性はあまりないかもしれない。こうすれば国連職員になれるというマジックも紹介していない。でもできるだけ臨場感が伝わるように書いたつもりだが、私の筆の力はかなり限られている。
 
 書くということは、自分のすべてさらけ出さなければならない非常に勇気がいる作業でもある。書いたものには確実な自信はないが、恥ずかしいかな、これがまた私の実力であり、そして私という人間である。将来、国連職員を目指している若いひとに何かの役に立てば望外の喜びである。
 
16.国連職員になる前に:その一
 上述のそれぞれの制度に応募するための条件は、ポストによって異なる。応募者それぞれの経歴、経験などにかなり厳しい注文があるので、一概にこれといった処方はないが、応募者自身でそれぞれの公募内容を吟味し、条件にあっているかどうかを確かめて応募するしかない。
 
 一般に、高いポストは出向者や政治的なアポイントメント(Political Appointment)が独占する。一般公募で就職するひとは、これらのポストに比べると低く、どちらかというとより裏方さんとしての仕事が多い。
 
 この方法は現在の国連スタッフの募集制度が変わらないかぎり、これからも続くものと思われる。このシステムに不満を覚えるひと、諦めるひと、無関心なひと、いろいろである。いずれにせよ、自分の足元をよく見て、仕事に満進する事が肝心である。そして、仕事を楽しみながら、自分というものをしっかり確立したいものだ。
 
 さて、国連職員になるための基本的な条件についても触れたい。一つは、職務遂行が可能な語学力(主として英語、さらにフランス語、スペイン語などができると優位になる)である。話すだけではなく、かなりの文章能力も要求される。
しかし、流暢に喋らなければならないということもない。ジャパニーズ・イングリッシュをあまり卑下する必要はない。もちろん、流暢に話せることにこしたことはないが、語学はコミュニケーション、魂を込めて真剣に話せば心は繋がる。言葉は心、また想像力である。ミニマルな言葉でマキシマムな想像力を発揮して、国際社会を渡り歩こう。
 
17国連職員になる前に:その二
 二つは、国連機関の業務にもよるが、いわゆる個人の高い専門性が必要とされるWHOではドクターや学位があった方がいい。学位がないと仕事ができないということではないが、周りのひとがほとんど持っているので、持っていないと肩身が狭いというぐらいだ。
 
 三つは、経験である。ポストによって異なるが、10年以上の国内外の経験が必要だ。必要なときにいつでも参照できる、国内の専門分野の情報源についてはそれなりに詳しい方がよい。また研究論文などはないよりはあった方がましだが、必要条件ではない。
 
 国連では、出身国のことなら何でも知っていると見なされる傾向があるので、自分の国のシステム、例えばWHOでは日本の健康問題や対策、ヘルスサービスシステム、健康保険制度などについてもそれなりの知識を持って赴任することを勧める。だから、国内で医療行政や研究を行った経験のある専門家が有用される。
 
 途上国での経験は有利かもしれないが、必ずしも要求される条件ではない。それよりも、自分の国の統計や文化・政治に詳しくなれといいたい。
 
 これらは基本中の基本であるが、その他の条件はもっと重要かもしれない。一つは、国際環境でやっていけるかどうかが問われる「国際性」である。二つは、国際性に関連するが、多文化、多宗教などの複雑な環境の中でも人間関係がうまく確立できるかどうかである。
 
 国連機関は研究機関ではなく、どちらかといえば行政的な仕事が多いので、研究能力よりは調整・管理能力、そして問題解決能力が有効である。狭い領域の専門家よりも、ものごとを俯瞰し組織を動かせる行政能力の高いひとが国連機関にはより向いていると思う。
 
 これら以外にも私が大切だと思うのは、自分の価値観をしっかり持つことだ。そして、高度な専門性に支えられた自信だ。自信は力だ。
 
18空席ポスト
 国連機関はそれぞれの機関のホームページに空席情報を定期的に公表している。最近ではこのようにインターネットを通じて情報を入手できるので、外務省の国際機関人事センターから国内の関連機関に再送されていた時代に比べれば、情報のアクセスにおいて地方差は少なくなった。インターネットはさらに、時間と地理においても都会と地方の格差を縮めてくれている。
 
 各国連機関は、スタッフの退職後のポスト、新規のプログラムの新しいポスト、プログラム再編などによりできた空席のポストを空席情報としてネット上に公開している。
【コラム2】

コラム2 国連機関の空席情報ウェブサイト
ここには、WHOや国連の空席情報を掲載したウェブサイトのアドレスを示した。
WHO 
http://www.who.int/employment/vacancies/en/
このサイトにはWHO全体の専門職(Pスタッフ)と一般事務職(Gスタッフ)の空席情報
掲載されている。逐次更新されるので興味のある方は定期的にアクセスすることを勧める。
UN 
https://jobs.un.org/Galaxy/Release3/vacancy/vacancy.aspx
このサイトには国連全体の空席情報が満載されている。
国際機関の概要およびホームページ
http://www.mofa-irc.go.jp/link/link.htm
外務省国際機関人事センターからアクセスできる。各国際機関の空席情報が見られる。
 
 予算が枯渇して削除されるポストもある。また、誰かをやめさせるためにプログラムをわざわざ再編成し、ポストを枯渇させる場合もあり、正式にポストについたからといって安心してはおれないのが国連機関である。一つの空席ポストの背景にもいろいろな事情が隠されている。
 
19.空席情報
 人事課は、担当部署から基本的な情報をもらって空席情報【コラム3】を作成し
世界中に広報する。空席情報には、ポストの名称(医務官、サイエンティスト、技術者
など)、グレード(P1〜P6)、赴任地、職務内容(Terms of Reference)、必要な学
歴、経験などが記載されている。現在では上述のように、インターネット上にVacancy
Notice(空席情報)が掲載されるので、世界のどこからでもアクセス可能である。
 








 
コラム3 WHOの空席情報の内容
1)空席ポスト番号、2)掲載日、3)ポストのタイトル(医務官、科学技官等)、4)締切月日、5)グレード(P1〜P6)、6)任務地(スイス・ジュネーブ、フィリピン・マニラ等)、7)雇用種類(恒久、任期付等)、8)担当部署(エイズ部門、環境保健部門等)、9)期限(二年間期限付等)、10)配属されるプログラム全体の目的、業務内容(ここに配属後の業務の詳細な内容が記載されており、最も重要な部分)、11)有資格(医師、学位等)、学歴(大学、大学院等)、12)能力、13)経歴、14)語学、15)年間給与、16)調整費。
 http://www.who.int/employment/vacancies/en/








 
 
 空席情報には、高いポストの募集は少ない。P6(D1に相当)がごく稀にあるぐらいだ。部長級のDポストはほとんどない。これらの高い政治ポストは政府関係者に回されるので、一般公募の対象外とされる。事務局長が、事務局運営がやりやすいように、あるいは予算獲得のために、加盟国間の政治状況を判断して政治的な取引を行う。いわゆるポリティカルアポイントメントというもので、事務局長の専売特許だ。これについては上述した。
 
平成19年11月30日
著作 玉城 英彦(たましろ ひでひこ)
北海道大学大学院 医学研究科
社会医学専攻 予防医学講座
国際保健医学分野
著書:玉城教授の故郷の思い出をつづったエッセー集
「恋島(フイジマ)への手紙 −古宇利島の想い出を辿って−」
発行所 新星出版 
 
 
 

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