第15話
 ゼロは脅威の数
 

 
 
「主な対象読者」
話はゼロの性質に絞って書いてあります。
話の都合上、負の数と文字式が出てきますので、対象は中学生以上になると思います。
なお、「おまけ」の方は興味を引くための参考ですので、年齢層に関係なく誰でもが読んでみてください。
 
 
 
本 文 目 次
1.身一つで生きている
2.ゼロは無敵のゾンビだ
3.おまけ
著作 坂田 明治
 

 
第15話 ゼロは脅威の数
 
1.身一つで生きている
 だいぶ前から、分数の計算ができないとか、小数の割り算ができないとか、そういう話をよく聞きます。計算能力が低下しているような「そんな気がする」のですが、本当のところどうなっているのかは解りません。辺りを見ても、一応、そういう計算のできる人ばかりです。ただし、あまり自分の手で計算しなくなっています。面倒なことは全部電卓で計算していて、手計算はほとんど見かけません。
 
 だからといって、子供のうちから電卓を使うのがいいかどうかは問題です。そもそも、計算能力を高めるのは「猛訓練」による以外にありません。まあ、いつものことですが、ただの猛訓練に批判的な人がいるようです(「もっと理論的に説明して、計算法則が解るように練習すべきだ」とどっかの耳がとがった宇宙人みたいなことをいっています(理論的な説明が解れば苦労しないって))。面白くなくてもなんでも計算練習は必要です。計算能力を高めないと、数に対する直感の働きがにぶく、その後に来る色々なこと、例えばねつ造を見抜くための能力、ホンモノとニセモノを識別する能力にも効いてきます。
 
 
 少し、スポーツで考えてみましょう。基礎体力を作るのに走りこみが必要です。走るのが嫌でも面白くなくても、それで済まされる問題ではないでしょう。基礎体力が低いと見抜かれたら、長期戦に持ち込まれ、相手が自滅するのを待つ戦略をとられるのは目に見えています。
 
 よく、頭と体を区別する人がいますが、これはどうかと思います。そもそも、身一つでやっているのですから、何をもって区別するのか不明です。頭でも、体でも鍛えなければ弱くなるだけです。誰でも走ることはできますが、実際に走りこんでいる人と、そうでない人の差は明らかでしょう。頭でも同じです。計算練習は重要です。
 
 だいたい、他人に乗り移ろうとしてもできません。昔、他人に乗り移れないかと思っていろいろやりましたが(本当は念じただけでなにもやってない)、結局は乗り移れませんでした。これ、校長に乗り移って、担任をクビにしたり学校を休みにしたりしたいという純粋な目的だったのに(どこが純粋かは問わないよーに)。もちろん、教育委員会とか、教育審議会や文部省(当時)などという言葉も知らなかった頃の話です。
 
 結局、どうやってもうまくいかない(何もしてないけど)のだから、頭(心も含む)と体は一体で、切り離せないものだと自覚しました。まあ、動機はともかく、自分というものは、身一つでやっているものだと解って夢が破れたわけです。
 
2.ゼロは無敵のゾンビだ
 さて、計算ができないという話に戻しましょう。分数の計算や、小数の割り算ができない人を見たことはありませんが、負の数の割り算ができない人はたくさんいます。これ、例えば、「−5を3で割った余りはいくつだ」という問題を出したら、ほとんどの人は「−2」と答えると思いますが、正しくありません(理由はおまけで述べます)。かつて、国際的なレベルにある某研究所でこの問題を出したら、回答者が全員「−2」と答えました。これをもって、「この研究所は負の数の割り算ができないやつばっかりだ」と結論付けることができそうです。この場合、「対象者を無作為(むさくい)に選んだ」と称して、実は、正しい解答ができそうにないやつを選んでいます。明らかにねつ造ですね。
 
 ねつ造の話は他の機会にするか、または別の方に書いていただくとして、ここでは「数」の話をします。まず、普通に「自然数」というと、1、2、3、4、5、・・・を思い浮かべるでしょう。高校までの学校教育では、自然数に0を入れない教育をしているのだから当然ですね。しかし、人によっては0を自然数に入れたり、入れなかったりと完全に統一されているわけではありません。都合がよいときは自然数に入れるし、都合が悪いときは自然数に入れないなど、同じ人でも時と場合によって使い分けていたりもします。なんか、ひどい扱いを受けているみたいですね。
 
 かなりいい加減な扱いを受けている0ですが、これがないととんでもないことになります。まず、0がないと、試験で0点がつけられません。一問もできなくても1点にしなければならなくなります。某アニメの主人公の小学生がいつも0点ばかりという前提がくずれます。更に、「スマイル0円」も「スマイル1円」にしなければなりません。すると、「ニコニコ」で「はい2円」、続けて、「ニコニコニコニコ」で「はい6円」、「ニコニコニコニコ」で、「10回以上は100万円だ。さっさと払え。怖いお兄さんが来るぞ!!」と脅迫されるかも知れませんね。恐ろしいことです。
 
 実は、日常生活では0を自然に自然数として扱っています。例えば、10円出して10円のものを買うことを考えて見ましょう。当然おつりはありませんよね。これはおつりがないこと、つまりおつりが0円であることを使っています。ですから、0を自然数にいれないと、10円のものを買うのに、11円出して、1円おつりをもらわないと理にあいません。教育現場では、試験は0点から、通信簿では1からつけるから、0を自然数としたりしなかったりしています。こう考えると、高校までは0を自然数に入れないとしているのはなんかおかしくない。
 
 冗談はともかくとして、0は極めて重要な数です。なければ全てが破綻(はたん)するといってもいいくらいです。「数なんて0と1と∞(無限大)を知っていればいいんだ。あとはなんでも同じようなもの」という人もいるくらいです。
 
 それほど重要な0ですが、性質はいたって簡単です。なんかに0を足しても全然変わりません。式で書けば(式に番号を付けると引用が楽です)、
 
a + 0 = a       (1)
 
ということです。これを「0は加法の単位元」といいますが、簡単にいえば、「0は足し算に対して全くの無力だ」ということです。
 
 ついでに、
 
a ×1 = a       (2)
 
なので、「1は乗法の単位元」といいますが、これも簡単にいえば、「1はかけ算に対して全くの無力だ」ということになります。
 
 しかし、かけ算(かっこつけて「積(せき)」ともいうことの方が多い)に関しては無敵のゾンビです。これを式で書けば、
 
a ×0 = 0       (3)
 
ということです。つまり、どんな数に0をかけても必ず0になってしまいます。ゾンビに殺されるとゾンビになるということそのものでしょう。
 
 おそらく、小学校で、かけ算を教わったときに、「0をかけたものは0」と習ったはずです。そして、「0で割ってはならない」とも習ったはずです。なぜこうなるのでしょうか。コンピューターでは0で割ると除算例外(じょざんれいがい)で止まってしまうからというのは本末転倒(ほんまつてんとう)です。(どこかで、「ウィルス」の説明を「コンピューターウィルス」みたいなものと書いてあるのを見たことがあります。これも本末転倒です)
 
 まず、どんな数でも、0をかけると0になってしまうことを説明しましょう。このためには、出発点が必要です。通常、「0は加法単位元だ」(つまり、(1)の式)というのを出発点とします(この他にも色々な計算法則を使いますが、今回は一々こだわらないことにします)。(1)の式は、平たくいえば、「足し算に対して全くの無力なやつがいることにして、そいつを0と書くことにしちまえ」ということです。他の数から見れば、0は全くの無能者ですから、みんなから、「やーーーい、何にもできない無力者め」といじめられているでしょうね。前の方で出てきた某アニメの主人公の小学生みたいですね(そうかな。結構野望を持っていたり、新しい道具が手に入るといたずらを考えたりするので、なかなか見所がありますけど)。
 
 でも、いつまでもいじめられてばかりいるわけはありません。やがて、仕返ししてくるのは目に見えています。0の性質から、
 
1 + 0 = 1       (4)
 
(4)の両辺にa(どんな数でもいいということです)をかけて、
 
a ×(1 + 0) = a ×1   (5)
 
(5)の左辺を展開して、
 
a ×1 + a×0 = a ×1  (6)
 
a ×1 = aなので、もっと簡単にすれば、
 
a + a ×0 = a     (7)
 
(7)の両辺からaを引くと(「(1)の式と見比べると」)といってもいいです)、
 
a ×0 = 0       (8)
 
 つまり、0はかけ算にたいして無敵のゾンビであるとの性質が出てきます。いじめると恐ろしいことになりますね。「なーーーんだ、この程度か」などと安易に考えてはいけません。(8)の事実からとんでもないことを引き起こします。
 
 割り算に対して、ちょっとだけ説明します。例えば、2×3 = 6ということから、2 = 6÷3となります。両辺を3で割っているわけですが、以下、これと同じことをやっていますので、今の計算を頭に描いてみると解りやすくなります。
 
 形式的に、次の式を考えましょう。
 
x × a = b       (9)
 
(9)の式の両辺をaで割りましょう。
 
x × a ÷ a = b ÷ a   (10)
 
a ÷ a = 1ですから、
 
x = b ÷ a      (11)
 
となりますが、これで「めでたし。めでたし」とはなりません。(8)の式を見てみましょう。ついでに、(8)のaをxに書き直します。
 
x ×0 = 0      (12)
 
はxにどんな数を入れても成り立ちますから、(9)からの計算を形式的にやると、
 
x = 0÷0      (13)
 
となって、(13)の式のxはどんな数でもいいことになります。一通りに定まらない(一意的ではないといいます)ので、こんな計算は無意味です。要するに、0÷0なんてやっちゃいけないということです。
 
 今度は、(9)でaに0を入れて、bに0でないもの、例えば1を入れると、
 
x ×0 = 1      (14)
 
となりますが、(14)の式は成り立ちません。0が無敵のゾンビやろーだからです。
 従って、1÷0というものは全く意味がありません。同じ様に、0でない他のどんな数も0で割ることは意味がありません。
 
 これらの結果を合わせると、どんな数も0で割ることは無意味です。ということで、「0で割ってはいけない」との教訓が出てきます。
 
こうして、「0をかけたものは0」、「0で割ってはならない」というのにはきちんとした根拠のあることが解りましたでしょうか。この先、色々な法則を勉強すると思いますが、それぞれ然るべき根拠があると考えて、その根拠まで追求した方がいいと思います。
 
3.おまけ
 
 この章はおまけですので、あまり気にしないで読み流した方がいいです。

 まず、2.ゼロは無敵のゾンビだの冒頭で、負の数の割り算が出てきましたが、この説明をします。最初に「−5を3で割った余りはいくつだ」との質問でちゃんと回答できなかったやつは、「こんなの授業でやってませんよ」といってましたが、実は、授業でやっています。文字は全て整数として、整数aは、q>0として、
 
 a = pq + r (0≦r<q)
 
と一意的に書けるから、pを商、rを余りというのでした。授業でやっているはずですね。
 
 これをすっかり忘れているから、−5 = (−1)×3+(−2)とやって、余りを−2といっています。正しくは、−5 = (−2)×3+1となるので、余りは1です
 
 この先、どんな方向に進むかによって、考えている数の世界が色々と変ってきます。数に関するスケールが変ってくるといってもいいでしょう。計算法則も色々と変ってきます。
 
 例えば、計算すると無限大になってしまうものを、「これは無限大の誤差があるからだ。その誤差を無視しよう」といって無限大の部分を無視して有限の値を出すこともあります。今聞くと、すっげーいい加減に聞こえますが、ちゃんとした理論があります。
 まあ、他にも似たような話では、高校の物理で、「質点」というものが出てきますが、これも曲者(くせもの)です。後で、「剛体」というものが出てきて、その時に「密度」が出てきます。すると、「質点の密度は?」と疑問を持つ人がいたりします。密度=質量/体積ですが、点の体積は0なので、密度は考えられないか無限大と考えてしまうかになります。質点は一番理想的なものだったのに、ここで破綻してしまいます。でも、δ関数(デルタかんすう)というものを考えれば(このたぐいのものは、超関数(ちょうかんすう)とか、一般化関数とか、一点測度(そくど)などといいます)うまく扱えます。高校の物理の先生にこのことを聞いたらなんと答えるかは見ものですが。
 
 まだまだ色々あります。例えば、無限大にも色々あって、それらの間で計算できたりもします(超限順序数(ちょうげんじゅんじょすう)やスコーレムの超準数(ちょうじゅんすう)など)。更に、高校までの教育では、「こんな計算しちゃいかん」といわれていたことをやったりもします。これから先の進路によって色々出てきますので、それはそれで楽しみですね。
 
(完)
平成19年3月22日
坂田 明治(あきはる)
 
 

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