第1話 ケネディを大統領にしたカビ

 病気はコンタギオンで伝染する
 大昔からカゼや結核のようなある種の病気が人から人に伝染し、また湖沼地帯におけるマラリアのように、ある地域で特に流行することも知られていました。このようなことから病気は、接触によって人から人へと伝染するとか、空中に存在する何物かによって起こされるという考えがありました。「コンタギオンcontagion」という言葉は、接触を意味するラテン語contagioに由来し、病気の伝播を意味しています。医者のなかには、感染因子は揮発性であると信じていた者もかつてはいました。例えば、イタリア語の「マラリアmalaria」は、沼地などの湿地から何か悪いものが昇っている「悪い空気」を意味していのだそうです。そのため病気を起こす微生物が発見される以前は、病気は悪い空気ミアズマによる「ミアズマ説」が本気で論じられていました。
ポテト立ち枯れ病
 ローベルト・コツホは、炭疽という病気を研究して、のちに細菌と呼ばれる微細な生物「炭疽菌」によって炭疽は引き起こされることを発見し、病原細菌学の歴史の第一ページを開きました。それよりも30年ほど前にさかのぼって、物語は始まります。
微生物が病気に対して重要な役割をはたすということが最初に実証されたのは、1845年頃です。それは、数年間にわたって全アイルランドのポテト畑を荒廃させた恐るべきたたりのような「ポテト立ち枯れ病」でした。アイルランドのポテト立ち枯れ病は、国民に深刻な食糧不足を起こし、貧しい百万人以上の人が死亡し、人口を800万人から400万人以下にまで減少させてしまったのです。
ポテト立ち枯れ病が大流行した年は、雨と霧の日が多く、春も寒い日々が続きました。悪天候は病気の原因であると人々は信じていました。イギリスのアマチュア植物学者のマイルズ・バークレー牧師は、ポテトの葉を顕微鏡で観察して、今日私達がフィトフトラ・インフェスタンスPhytophthora infestansと呼ぶカビを見出しました。ところが不幸なことにプロの植物学者たちは、素人のたわごととしてマイルズ・バークレー牧師の観察結果を相手にしませんでした。その後、立ち枯れ病のポテトは、フィトフトラ・インフェスタンスPhytophthora infestansというカビに侵されていることを指摘し、このカビが原因であることが証明されました。しかし、植物学者がポテト立ち枯れ病について発見した1850年頃の病気についての観察事実は、人の伝染病の本質に関する医者の考えにまでは、残念ながらなんの影響も与えませんでした。
ケネディ大統領の誕生
 ポテト立ち枯れ病の蔓延で国土は破壊され、あらゆる種類の病気が農村と都市の住民にはびこり、生き残った人々の多くは困窮の結果、アメリカやオーストラリアに生きるために仕方なく移住していきました。大西洋を渡ったアイルランド人の中に、フィツジェラルド家とケネディ家の人々もいました。アメリカに新天地を見つけ出した移民たちは、賢明に働き努力し、少しずつ財をなし、子供たちに教育を与えていったのでした。1917年にジョン・F(フィツジェラルド)・ケネディが生まれます。才能に恵まれた彼は、母親の厳しい教育をうけ、ついに1960年アメリカ合衆国の大統領となったのでした。アメリカの古都フィラデルヒィアにある米国有数の名門校ペンシルベニア大学(野口英世も留学した)に私が留学した1962年に、米国期待の星「ジョン・F・ケネディ」は暗殺されてしまいました。衛星放送として最初にアメリカから日本に送られて映像が、このケネディー大統領の暗殺のシーンでした。
 全米大会で何回も優勝経験のあるアメリカン・フットボールの名門チームの一つに、サンフランシスコ49ersがあります。このチームは、1849年にポテト立ち枯れ病のためにアイルランドからアメリカに移住して来た人々に由来すると聞いた記憶があります。ケネディ家やサンフランシスコ49ersの祖先がポテト立ち枯れ病の原因のカビであるフィトフトラ・インフェスタンスと偶然に出会うことがなかったら、アメリカ大統領や優勝という役割や栄誉を果たすこともなかったのです。歴史の形成にかかわった微生物のはなし第一弾です。
『完』